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片付けるとは捨てること!捨てるということは得ること

こんにちは(⊹^◡^)ノo゚

前回の記事で生前整理の必要性、重要性をお伝えしてきました。

 

 

 

今回は、片付けるという言葉の本当の意味について一緒に考えてまいりましょう。

そもそも片付けるという言葉の本来の意味は何なのでしょうか。

辞書によって解釈も少しずつ違っているかもしれませんが、おおかた「モノを適当な場所にきちんと入れ、納める。乱雑に置かれているモノを
まとめ整える」と書かれています。

 

 

本当に納め整えるだけでいいのか

辞書に書いているとはいえ、この解釈には大いに反論があります。

おそらく、この解釈の前提には増えすぎたモノの量がさほど多くない、あるいは常識的な数であるという説明が必要かもしれません。

それほどに現代を生きる私たちの生活には、多種多様のモノが氾濫しています。

 

つまり「片付けた」だけでは片付かないところまで追い込まれているのです。

昔、上司に言われたことがあります。

私が増えすぎた書類を一生懸命にファイリングして机の中に納めようとしていたとき、「片付けるっていうのはね、右のものを左に置くことじゃなく捨てること、処分することだ」と。

 

目からウロコでした。今でこそ、片付けの中に捨てるという作業が当然のように入ってはいても、やはり捨てるという行為には抵抗があったものです。

 

 

私の考える「片付け」の意味

それ以来、幾度かの引越しのたびに多くのモノを処分してきました。

上司の言う「片付け」をしてきたというわけです。

私がたどり着いた片付けの本当の意味、それは、

モノに「片を付ける」こと。

つまり、訣別することでした。

 

どんなものにも賞味期限があります。

私たち人間という動物にも、例外なく終わり(賞味期限)があるのですから、モノに至っては当然ともいえます。

しかし手に入れたものを手放すことを忘れた私たちは、いつしかモノの呪縛で苦しむばかり。

それは“手放す時期”を無視してしまったからに他なりません。

 

 

手に入れた理由、手放す理由、どちらもある

せっかく手に入れたのに、あれほど欲しいと思っていたものなのに・・・

「…のに」「…のに」の連続。

 

確かに、そのときは欲しかったでしょう、そして必要でもあったかもしれません。

でも、手に入れたいと思った時期が唐突であったように、手放したいという時期も唐突にやってきます。

いえ、やってきてたのです。

それに気づかないふりをしていただけ、それがモノに翻弄される人生の原因です。

欲しかったものは、その役目が終わった時点で“手放すべき”モノなのだということ。

そのことを肝に銘じてモノと向き合っていけば、今までのように安易にモノを欲しがることもなくなるでしょう。

 

 

捨てた先になにがあるか

ズバリ、時間です。

増えすぎたモノを処分するということがこれほどまでに重要とされ、関連本が売れまくる時代になった一番の理由は、そのことによって人生が不自由になったと自覚する人々が増えたせいかもしれません。

所有するということは、言い換えれば、所有し続けなくてはいけないということ。

モノを管理し続けるということは、モノを欲して手に入れたときほど楽しいものじゃありません。

むしろ面倒で、苦痛でさえあります。

それは思考を占領し、空間を占有し、時間を奪います。

それがどれほど価値のあるものであれ、いえ、価値があるものであればあるほどそうかもしれません。

所有し続けるものが減るということはすなわち、思考と空間と時間を取り戻すということになるわけです。

 

そのことをせずに、限られた人生を生きるのはあまりに勿体ないこと。

そして愚かしいことです。

時間と空間と思考に空きが生まれれば、そこに新たな考えや生き方を加えることが可能になります。

 

実際そうするしないは別にして、その余白があるというだけで、どれほどに心身のゆとりが生まれることでしょう。

気づいたあなたは、もう引き返せないはずです。

これほどに重要で、重大なことを後回しにしてきた自分のことをどうぞ許してあげて下さい。

 

そして、決意しましょう。

もう、時間と空間と思考を無駄に奪われはしまいと。