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生前整理は業者じゃなく自分で!最後で最高の家族孝行

こんにちは(⊹^◡^)ノo゚。*

前回の記事では処分する基準についてお話しました。

 

 

これまで断捨離関連の本をさんざん読んできたことがある方でも、なかなか実行に移すとなるとハードルは高いかもしれません。

なぜって、

わかってるようで実のところわかってないこと、実感がもてないことが一つあるからではないでしょうか。

 

それは、

自分自身の確実なる死

です。

 

そんなこと人に言われるまでもなく毎日毎秒考えてますよという声も聞こえますが、考えることと、それを実感することは別モノ。

 

それほどに死とは無情であり、青天の霹靂の場合もあり、個人の都合や遺族の心情、現状など一切配慮しないものなのです。

あれこれ多くの断捨離の本を読む以上に効果のあることは、

自分は間違いなく死ぬ

ということの自覚。

そして、気づきです。

 

 

燃え尽きた後に残るものは、骨

一度でも火葬場に足を踏み入れた方は肉体が骨や灰になっていく姿に何を思ったことでしょう。

どれほどの財を成しても、地位を築いても、人はあまりにも裸一貫、何も持たずにこの世から去っていくといことに、唖然としたのではないでしょうか。

 

霊体である自分自身の体さえ灰になっていくのに、なぜ洋服やカバンや宝石が必要になるでしょう。

なりはしません。

この世に生を受けたときに自分自身の所有物を何も持たずに登場したのだから、また全てを手放してこの世を後にする。

それが人生です。

では、その最期はいつやってくるのでしょう。

何年の何月何日なんでしょう。

 

 

そんなこと、わかる人はいません。

わからないからこそ、正気を保って生きていられるとも言えます。

ただ、わかっていることもあります。

それは何度もいうように、必ずこの世にさよならする日がくるというゆるぎない現実です。

 

 

自分が揃えたのだから自分で処分する

生前整理というのは積極的に明るい気分でやりたいものでは確かにありません。

自分が「死ぬ」という事実を考えること自体が、普段そういうことを考える習慣や勇気のない人々には苦痛以外の何ものでもないのは理解できます。

 

でも、であればなおさら…

自分自身の集めたものを自分で処理できないでいるというのに、なぜにそれを自分以外の誰かにやってもらえると考えるのか。

 

どうしてそんな心身ともにしんどい後始末を、その大変さをわかっていながらやらせることに平気でいられるのか。

そのことの理解に苦しみます。

自分は死ぬんだから、あとは知ったことじゃないと考える人も中にはいるかもしれません。

けれども、そんな人間の後始末なんてやってられるか。

と考える他人のほうがもっと多いといえるでしょう。

自分のことは自分でする。
生前整理とは、その究極の形です。

 

 

辛くとも生きているうちにそれが本当の愛

たとえ使わなくとも、それが故人のものであれば遺族は一つ一つ見るたびに、そして、仕分けるたびに命が縮まるような悲しみに包まれ作業を行うことになります。

 

あなたに家族がいるなら、そんな悲しい思いをさせないであげて欲しいものです。

あなたに家族がいないとしてもあなたがこの世を去ってあとに残った持ち物のすべてを、誰かが片付けなくてはなりません。

 


いつ亡くなるかわからないのに生前整理なんて始められないと拒否する方も多いでしょう。

けれども、いつ亡くなるかわからないからこそ、生前整理をすることに必要と意味と責任が伴うのです。

 

生前整理は死後のためだけじゃなく、生き生きとした活力ある日々を生きるためにも非常に効果的です。

 

本当に必要なものは何か。

本当に大切なものは何か。

 

それがわかって日々を生きることは、決して無駄じゃありません。