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モノを整理することで人生も整理整頓され片付いていく

こんにちは(⊹^◡^)ノo゚。*

前回の記事では、生前整理がいかに大事かについてお話をさせて頂きました。

 

 

毎日さまざまな場面でモノが多すぎることの弊害について考えさせられている私です。

先日も素足のまま半日を過ごし、足先が寒いからとソックスを履こうとして愕然としました。

とにかく、数がありすぎるのです。

 

 

これらの数が本当に一人の人間に必要なのか

まず、引き出しが開きにくい。

そして、開いてもそれがどんなソックスなのかわかりにくい。

レギンス、厚手タイツ、ニーソックス、ハイソックス、スニーカー用、サンダル用…。

よくもこれだけあるものだとため息がでるほどの量。

うんざりして、結局履きたいソックスを探すことそのものをやめ、その場に座り込む始末。

 

しかし当然これで引き下がるわけにはいきません。

なにせ断捨離の記事を書いているわけですから、それを実践してなんぼです。

数決めによる断捨離を決行。

外出の回数も少ない私がこれほどのレギンス、タイツ、ソックスを果たして活用できるのかといえば、もちろん「ノー」、そして不要。

 

 

それぞれ5枚、ただ、ソックスだけはフォーシーズン通して20枚に。

なにせレギンス(スパッツとも)だけでも、20本近くあったのです。

そして、この冬履いたものは2本のみ。

それを洗濯しては履いていたのです。

 

つまり、15本減らして5本にしてもまだ多いぐらい。

けれども、ここは5本ということで収めました。

最終目標は2本です。洗濯すればいいのだから2本で充分。

だいたい、一人の人間にこれだけのソックスらが本当に必要なのかと改めて嘆息が洩れました。

 

 

残す基準、捨てる基準、それこそが人生そのもの

具体的に話すほうがわかりやすいので、さきほどのソックスの話から入っていきますね。

 

たとえば、私はレギンスを20本から5本に断捨離しました。

20⇒5へ、それはどんな思考、基準から生まれたか。

それは、今一度自分を知る作業を行わないとできません。

そこから以外でも断捨離は可能といえば可能ですが、根拠のない断捨離は弱いのです。

自分のライフスタイル、それはたとえば仕事は何をしているのか。

どんなスタイルで働き、アフターファイブを含めてどんな人間関係、交友関係なのか。

そういったことを振り返らずに断捨離は難しいのです。

 

自分はどんな人間なのか。

人生をどう生きていきたいのか。

 

大げさなようでも、最後はそこに行き着きます。

逆に、そこさえはっきりすれば自分にとって本当に必要なモノ、枚数も自然とわかってきます。

 

モノを整理するということは、単に増えすぎたものを数を決めて処分すればいいというものではありません。

根拠もなく、言い換えれば捨てる基準もないのに、ただ数が多いという理由だけで、残すものと捨てるものを明確に処分できるなら、これまで何も苦労はなかったはず。

 

人が求めているのは捨てなくてはいけないという言葉じゃないのです。

どうやったら抵抗なく捨てることができるか、罪悪感をともなくことなく気持ちよく断捨離ができるか、その心を支える理由、根拠、基準が欲しいのだと思います。

 

 

近況を自慢しあう友人知人より、ほっとする一人を

余談にはなりますが、断捨離を考え突き詰めていくと、自分自身の人生そのものにぶち当たります。

あなたには、この人と一緒にいると心底ホッとするという人がいますか。

新装開店の店の料理を写して、それを「美味しそう!」といってくれる多数の見も知らぬ友人がいるから幸せと言い切りますか。

 


断捨離の究極の姿は、おそらくは人間関係になるでしょう。

新しいプリンターで試した年賀状を一人でも多くの人に配りたい。

そのために、本来はお付き合いをしている、かけがえのない友人とはとうの昔に思えなくなっている人々を囲っていませんか。

それはただ虚しいだけです。

モノを断捨離したあとは、ぜひ、この人間関係についても考えて下さい。

 

 

次回はそちらを取り上げてみたいと思います。

今回も最後までお読みいただきどうもありがとうございました。