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断捨離して服の枚数を減らす!できないからシンプルライフへ

こんにちは(⊹^◡^)ノo゚。*

どうして服は減らないのでしょう。

考えてみれば簡単なこと。

減らしてないし、さらに新しいものを買ってしまったり。

それでは減るはずないですね。
でも、なんというのか…

春夏秋冬、最低限のアイテムを揃えたら、そして自分自身、ひとつの季節にどの服をどれだけ着用するか。

 

そろそろわかってきたな…
という感じじゃないでしょうか。

私たちはその服が惜しいのじゃなく、そのときに想い出や、労力、お金、さらには「いつか」のために捨てるわけにはいかない。

そんな強迫観念に縛られ身動きがとれなくなっているのです。

 

 

多すぎることは足りない事と同じ

あればいいというものじゃない。

ということに、あなたももう気づいてますよね。

待ち合わせの時刻に遅れそうになったり、売るほどに服があるのに「今日は最高のセレクト!」と自信をもって外出した記憶がほとんどない。

服があるのに、こんなに持っているのに、一枚として今日着ていくのに最適な洋服がないΣ(゚д゚lll)。

 

これはどういうこと?

「多すぎることは、足りないのと同じこと」

という言葉があります。

 

いっけん矛盾するようですが「ん~わかるな」という感じがひしひしと押し寄せてきませんか。

用を足さないという意味では、足りないのも多すぎるのも同じことになってしまう。

 

これは知恵も同じ。

どれだけ秀才で知恵があってもそれを使うことがなかったら、それは知恵がないと同じこと。

お金にしてもそうですね。

使ってこそ、紙が紙幣になり、貨幣価値となるわけです。

 

モノ、衣類にしたってそう。

使えてなんぼ、使ってなんぼ。

そう考えると、何となく断捨離の基準となる、あるいは骨となる考え方が見えてきませんか。

 

 

多すぎると大事にしなくなるは本当かも

こんな経験ありませんか。

息苦しくなるほどの人ごみの中で人の肩にぶつかったり足を踏んでしまったりという経験です。

不思議なもので、これだけ人が多いんだからぶつかるのは当然。

 

いちいち謝ってなんかいたら大変だとばかり、そのまま行き過ぎてしまう人はかなり多いのでは?

けれどもまたこんな経験はありませんか。

 

過疎地域で、その街のメインストリートだというのに人っ子ひとりいない。

そんななか、不意に路地から現れたおばあさん。

細い道ですれ違いざまに肩がぶつかってしまった…

何も言わず通り過ぎることができますか。

命の重みは皆同じと言いながらそう言い切れない場面です。

とても謝らないで通り過ぎるなんてできないはず。

 

 

多すぎるということは、たとえそのものの価値が変わらなくとも相対的に価値が下がってしまうということは、少なからずあるのです。

洋服にしてもそう。

多すぎると、ぎゅうぎゅうにタンスに詰め込んでしまったりハンガーが取り出せないほど吊るしていても目をつぶってしまいます。

 

多すぎるから、仕方ないし、もう面倒になってきているのです。

そりゃそうです。

いちいち一枚一枚の衣類の快適環境に気を配れるような状況じゃないのですから。

 

 

断捨離は能力じゃなく作業とする

断捨離ができない、という人はたくさんいます。

モノを捨てるのが忍びない、もったいなくて捨てられない。

確かにそうです。

その通りです。

 

まだ使えるものを捨てるのは忍びないし、もったいなくて捨てられないという気持ちは十分すぎるほどわかります。

ただ、モノは極端な話、取り返しがつきます。

全く同じものは購入できないかもしれないけれど、類似品で代用もききます。

 

けれど、人生はどうでしょうか。

限りあるあなたの、ただ一度きりのこの時間はどうでしょう。

失って、取り返しがつきますか。

二倍のお金を支払えば、もう一つ人生を売ってくれるところはあるでしょうか。

断捨離をするためのあらゆる考え方、方法を教える書籍がこの世界には溢れています。

それを読んでもまだ断捨離に踏ん切りがつかない人に欠けているものは、そんな小手先の方法論じゃありません。

 

 

致死率100%の自分を理解する

どんな死に方の「どんな」の違いこそ十人十色ですが、死ぬという事実は一つきり。

みな同じ運命にあります。

この揺るぎない真実をどれだけ自分自身の身の上に落とし込むことができるか。

断捨離云々の大前提に、明日をも知れない人生を生きる自分なのだという自覚が必要ということです。

 

限りある人生を楽しく

充実させて、悔いのないよう生きたい。

万人の願いでしょう。

 

それを叶えるために、もし、万が一、あなたの家にある小物や衣類、家電製品、過去のガラクタなどが心の負担になっているのなら、それを処分することは、

できる、できないの判断にあるものじゃなく、「すべきこと」なのです。

断捨離を才能に置き換えてはいけません。

断捨離は、今日会社へ出勤してタイムカードを押すぐらいに自然に取り入れていくのです。

一日で完了する必要はないのです。

 


ただし、一日のなかに必ず一箇所、一つは自分の心の重荷になったものを手放す。

この作業の連続が自信となり、モノに操られる人生から、モノをコントロールできる自分に変われます。

 

シンプルライフという軽い言葉の中に、本来の自分の発見、そして本来の生きるべき課題へ向き合う生活という、課題が含まれています。

服を減らすというのは、時間を増やすということ。

服を減らすということは、物理的な数の問題じゃなく、人生の足かせとなっているものへの決別宣言です。

 

では、次回の記事もどうぞお楽しみください。

最後までお読みいただきありがとうございました。