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断捨離を邪魔する物欲の無くし方!本当は誰もが知っている

こんにちは(⊹^◡^)ノo゚。

毎日今日こそ断捨離しなきゃと思っていませんか。

 

私は思っています。もう物が多い多すぎる生活には辟易なのです。

実際、行動は起こしました。

大きな物から小さな物まで本当によくぞここまで思い切れるな、というぐらい多くのものを金額の高い低いに関係なく処分もしました。

 

でも‥‥

それでもなおあるのです。捨てても捨てても、運命がモノを補充してくるのです。

なんの話なのだと思いますよね。

そう、これはとても個人的であって非常に普遍的になるかもしれない課題なのです。

 

 

失った家族と増えた持ち物

誰しも大切な人を失った経験というモノはあると思います。

人の命は本当に儚いもの。

 

残されたものは、故人が減らしに減らし、それでも生活するに残さなければいけなかった必要最小限の、少数精鋭のモノたちだけ。

生きている間に全てを処分することは不可能といっていいわけで、これは本当に最後の最後に残った品々、家財道具ということになります。

 

もしあなたが、それらを全て引き受ける立場になってしまったら?

故人はもうこの世にいないのだから、すべて業者に頼んでなかったことにしてしまいますか。

生前の関係にもよるでしょうが、私はなかなかできずにいます。

 

それでもこれなら、これぐらいならとひとつひとつのモノと向き合い、故人の想い出がよみがえるのを涙に変えて片付けをしようと努力をしています。

自分のものはいくら高価なものでも手放すことができるのに、すでにこの世にいない家族のものを手際よく捨てることはできない。

大切な家族は減ってしまったのに、不要なモノは増えてしまった‥

 

けれど‥‥

3.11以来薄れていた物欲がさらに加速し、モノを欲しがるという感情はさらに激減。

誕生日になにが欲しいと訊かれても、なにも欲しいものが浮かばなくなるほどの状況です。

なぜ物欲が消えかかっているのか。

 

それは人の最期を看取った経験がある人ならば少なからず心当たりがあるのではないでしょうか。

虚無というものは、多忙や退屈以上に人の心に大きな穴を作ります。

 

なにをどれほど手に入れようと、それは死ぬまでのお飾り、いっときの慰みものであるだけのこと。

それらに、たったひとつしかない命を削って生み出した大切なお金や限りある時間を費やすことのバカバカしさ。

 

‥‥‥‥

すべての人ではないですが、多くの人がその虚無を体験、あるいは想像したことがあるのじゃないでしょうか。

断捨離に必要なのはテクニックではなく、その先にある

「一度きりの人生を自分はどう生きていきたいのか」

そのことを真剣に自分自身にまず問いかけることだと思うのです。

 

理由のない作業でもできないことはないですが、弱いと限界がきます。

物欲がすべて悪だとは言いません。

けれども、本当に必要なものだけを欲しがることと、ただひたすらにわけもなくモノを欲しがってしまうことはまるで異なります。

どれほど断捨離を実行しても、根本的なところで物欲が止まらなければ、すぐにモノは増殖し、またも断捨離、そして断捨離という、らせん階段をため息をつきながらのぼるだけの人生で終わってしまいます。

 

 

どうしたら無駄な物欲をなくすことができるか。

なにも難しいことはありません。

一日5分でも1分でもいいから、自分が何も持たずに天国へ旅立つ日のことを、そのときの気持ちを想像すればいいのです。

それだけのことだといってもいいほどです。

 

断捨離の究極のゴールは、整然と片付いたモデルルームの部屋を作ることではなく、心に清々しい風を送り込み、人生を心地よく生きる深呼吸ができることだと思っています。

 

では、今回はこの辺で。

最後までお読みいただきありがとうございました。